夏の組立て。
鉾建ての日。四条通で長刀鉾の組立てをしばし見物。
山や鉾の組立てには釘は一本も使われず、
荒縄だけで木材を縛って固定するのだそうです(「縄がらみ」)。

夏の組立ては、梅雨の解体に欠かせない儀式。
祇園祭自体は飽きるほど見ていても、
人と祭と季節の絶妙な感応には、毎年のように感心させられます。
「祇園祭が終わると、京に夏が来る」

雨の滑走路。

2005年7月3日
雨の滑走路。
早朝に家を出て、特急を乗り継いで中部国際空港(セントレア)へ。

関空のだだっ広さに比べると、空港設備といい商業施設といい
どうにもこぢんまり感が拭えないセントレアですが、
特筆すべきなのは、国内の空港では初という(外国の空港には
あるんだろうか?)展望風呂「宮の湯」の存在でしょう。
(→ ttp://enjoy.centrair.jp/relaxes/miyanoyu/index.html)

展望風呂自体は広くはないですが、確かに滑走路側はガラス張り。
ただ、すぐ横が展望デッキなので柵で目隠しされており、
飛行機を見たければ浴槽内で半腰の姿勢になる必要があります(笑)。
さらに、特に昼間は一時間に数本しか離着陸しないので少し寂しい。

ちなみにここは展望「風呂」であって「温泉」ではありません。
当然、お湯は塩素強化型水道水を沸かしたモノと推定されますが、
展望デッキでの大雨で冷え切った体には有難い存在でした。

私は、雨模様の空へ飛び立つことはできないけれど。
肩まで湯に浸かり空を見上げると、それは予想外のぬくもりなのです。

金剛石の花。

2005年6月26日
泊まり勤務終了後、某ホテルの日本料理店へ。
祖父母のダイヤモンド婚を祝うため、親族一同で食事会。

結婚60周年を迎えるというのは、
人の意思だけではまったくどうにもならないことであって、
ごく平凡な老夫婦に課せられた歴史と運命と、
その事実こそが「無条件の祝福」に相応しいのだと思う。

相対の幸福。

2005年5月22日
コップに1cm程度のヤケ梅酒ではどうも物足りないので、
(もともと私は、日本酒は最大でも半合程度しか飲めない)
次はヤケ食いに走ることにします。レッツヤケ板チョコ。

……まさか、「ガーナ ミルク&ミルク」半枚で胸焼けするとは。

糖質と脂肪分が同時に摂取されることになるチョコレート
(特にミルクチョコ)は効率よく体脂肪に変換されるため、
ダイエットの大敵、とか何とか言って、
2ヶ月近くチョコ断ちをしていたツケが回ってきたようです。

体脂肪率の減少か、チョコレートを美味しく味わうことか、
果たして、どちらが人生において優先されるべき「幸福」なのか。
なかなか難解な哲学的命題であるようです。
そして、人生観とはまさにこの分岐そのものなのだ、とも。

連鎖の公式。

2005年5月21日
今思えば発端は、普段ならまず気にしない「星占い」を
たまたまスポーツ新聞で見かけたことだったのかもしれません。
今日の運勢は良くない、という「偶然」は、偶然にも連鎖する。

会社の休憩室でサラダを食べようとしたら、
勢い余って個包装のドレッシングをジーンズにぶちまけるし、
(この日は会社に泊まり込みの予定だったのに...)
ペットボトルのフタを床に落としたら、何故か見つからないし、
夜食代わりにヨーグルトを食べようとしたら、
袋にはスプーンではなく割り箸が入っているし。正直どうしろと。

そして仕事では、限りなく間抜けかつ派手なミスをやらかすし。

アルコール依存度が限りなくゼロに近い私といえど、
こんな日は、日本酒仕込みの梅酒「若鶴 梅の酒」(10年熟成)で
ヤケウメッシュするに限ります。清めの酒で厄払いなのです。

リセットとは、行為に付随する意思にこそ、意味があるのでしょう。

王家の印象。

2005年5月19日
大学時代の先輩・M氏と、兵庫県立美術館で開催中の
「ドレスデン国立美術館展」へ。(→ http://www.dresden-ex.jp/
昔(おそらく震災前)は王子公園内にあった気がするのですが、
いつの間にか臨海部のHAT神戸に移転していて二人して驚きます。

展覧会は...個々の品物はどれも素晴らしいのは確かなのですが、
期待していたほどでは、というのが正直な感想。
科学機器から磁器、絵画まで、出品物があまりに多彩すぎるためか、
全体として見るとつながりが希薄で、どこか散漫な印象を持つのです。
ドレスデン国立美術館自体が、巨大な「美術館複合体」だからといって、
限られた空間にそのまま縮小すればいいというものでもないはず...

そして例えば、本展覧会ではフェルメールの絵画が
「目玉」ともいうべき作品に位置付けられ、展示されていますが、
当時のドレスデン王の絵画コレクション中での位置付けは、
あくまでも「レンブラントの作品と間違えて購入された」絵にすぎず、
その意味において、重要性は相対的に低くなるはずだと思われるのです。
このあたりにも「後付けの意図」が透けてやや不満ではありました。
(もっとも、《窓辺で手紙を読む若い女》は普通に秀作ですけどね)

私自身が気に入ったのは、最初の部屋の「数学物理学サロン」の品々。
その中でも一番興味深く感じたのが、いわゆる「アストロラーベ」。
現在の星座早見盤の原型?ともいうべき金属製の円盤です。
#実物はデザインがもっと洗練されていましたが、大体こんな感じ。
#→ ttp://www.saundersandcooke.com/res/5.GIF

特筆すべきは、曲線で構成される表面の幾何学模様と、
各星座の位置が見事に一致させられている、という点でしょうか。
まさに、科学は「美術」となりうることを再認識させられました。
不思議の存在は、恐ろしいほどに美しい。

森林の夜風。

2005年5月4日
忙しくはないけど忙しい。余裕はあるけど余裕がない。

COCON烏丸の「lisn」(www.lisn.co.jp)で驚くほど惚れ込んだ、
“NORWEGIAN WOOD”のお香を焚いて眠ろう。

審理の行方。

2005年3月23日
 (3/23)ニッポン放送の新株予約権差し止めを支持・東京高裁
 ニッポン放送のフジテレビジョンに対する新株予約権発行を巡り、東京高裁(鬼頭季郎裁判長)は23日、ライブドアの申請を受けて発行を差し止めた東京地裁の仮処分命令を支持、同放送の保全抗告を棄却する決定をした。[日経新聞]


やっと最終判断。ということで、まずは今回の決定の原文。
→ ttp://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/
c1eea0afce437e4949256b510052d736/
65ea450fa1e373c249256fcd002988c5?OpenDocument

個人的には、文句の付けようがないほど完璧な決定だと思います。
極めて論理的だし、素人にも分かりやすく説得力がある。

日本は資本主義社会であり、何よりも法治国家である以上、
「合法だけど、倫理的に適切ではない」行為と
「気持ちは分からなくもないけど、でも違法」な行為は
全く性質の異なる問題で、同列に論じられるべきではないし、
どちらに理があるかは前提条件からして言うまでもないことです。

ニッポン放送側の「(ライブドアのやり方は)法律すれすれ」
「ずるい」という言葉は、実際に違法ではない以上、
何の批判にもならないということ。
文句があるなら、現状に照らし合わせ、法律そのものの問題点を
指摘した上で、論理的に見直しや改正を求めるべきなのです。
そのための『報道・論評の自由を有』するマスメディアでしょ?
(『』内は2月18日付産経新聞「主張」より引用)

それでも、ニッポン放送やフジテレビその他のメディアは
「放送・報道の公共性」を盾に、異を唱えるかもしれませんが。
そこまで市場(=株主)に左右されない「公共性」とやらを
維持したいのであれば、原文にもある通り、
そもそも株を非公開にしておけば良かっただけであって、
(公開するにしても防衛策を講じておくべきだった)
「公共性」なんて市場では言い訳にもなりません。
立場に甘え既得権にあぐらをかき、当然の企業努力もせずに
理想論だけを声高に叫ぶのは馬鹿げてる。

 * * *
もし万が一、高裁がこれまでの地裁決定を覆すようなことがあれば、
「高裁は心情的な理由だけで違法を合法とするのか。
 法律とはそんなにあやふやなものなのか。
 裁判の際の絶対的判断基準がそんないい加減なものなら、
 裁判所は自らの存在意義を否定していることにならないのか」
などと、日本の裁判所批判を繰り広げようと思っていたのですが(笑)
そんなことにはならなくて良かったです。

東風の梅花。

2005年3月11日
ガケ書房で多少時間を落っことしてしまったものの、
当初の予定通りに北野天満宮へ。
思い立った時、バス一本で行ける日常の延長上に「花」がある。
そんな都市が今に現存する奇跡を今さらながら再認識。

昨年か一昨年だったかは、花の時期を逃した記憶がありますが、
今年は、境内も梅苑も御土居の梅もほぼ全てが満開でした。

境内に咲く白梅。
http://tori.cc/~mooncat/dn/050308/kitano_1.jpg
(317KB;1024*768壁紙用)
御土居脇の梅園。
http://tori.cc/~mooncat/dn/050308/kitano_2.jpg
(330KB;1024*768壁紙用)
上記2枚以外は写りが悪すぎるので、数枚まとめてこちらへ。
http://tori.cc/~mooncat/dn/050308/kitano_etc/

梅の写真を撮るのはとても難しい。
樹形が複雑なのか、一つひとつの花に対して枝の勢いが強すぎるのか、
画面の焦点が絞りきれずに煩くなってしまう。
(私の腕が未熟なのは言うまでもないが)
天神様が愛でる花は、刹那の視覚と、未来の記憶にしか存在しない。

そして、目に見えるモノを突き放して分析しようと試みるM氏と、
最初に感動ありき、後で感情を言語化しようと悪戦苦闘する私の、
今「見えている」梅の姿もまた異なるのでしょう。
誰にも見えない視覚は、梅香よりも実はずっとはかないのだと思う。

それでも、梅花に囲まれて過ごす夕暮れは、
どこか背伸びをしたいほどに幸せなひとときでした。

=3月8日(火)=(この項終わり)

崖の押入れ。

2005年3月10日
梅を見に行きましょう。
ということで「A WOMB」を出た後、北野天満宮へ向かう。

…の途中、白川通を歩いている際に通りかかった建物。
壁にめり込んだ車。一見レストラン?のようで、どこか違う外観。
偶然にも、ここが以前ちらっと存在の噂を聞いたことがある
【日本人がロックと感じたモノを売る店】「ガケ書房」でした。
(→ ttp://www.h7.dion.ne.jp/~gakegake/index.htm)
ちなみに、店名の由来はロック→岩→崖→ガケ、らしい。

店内は、絵本あり雑誌あり文芸ありアート系ありヲタク系ありの
ひたすら雑多で、でも不思議に統一感のある落ち着いた空間。
(入口付近にあったヘナチョコ絵のパラパラ漫画がやけに面白い)
サブカルチャー系本屋と形容してしまえばそれまでですが、
この「落ち着き」が他の個性派書店(ヴィ○ッジヴァ○ガードとか)
とは一線を画した居心地の良さを感じさせます。
つまり、大声で怒鳴るばかりが「ロック」ではない、のかも、ね。

本棚の間を気ままに漂い、意図しない本を手にする瞬間は
「誰か」との出会いと同じ位に心ときめくもの。
本とは人間の存在そのものだから、当然といえば当然なのですが。

でもまぁ結局、この日私が嬉々としてお買いあげしたのは、
10年前に発行された「新・プロレス大百科」と、
買いそびれていた「週刊プロレス」最新号だったりするのです。
(ということは、プロレスもまたロックなのかな?)

=3月8日(火)=
大学院時代の先輩にして、人生の師匠(笑)のM氏をお誘いして、
3/5分に取り上げた「A WOMB」に行ってきました。

京都芸大近く、普通の住宅街にあるコンクリ打ちっ放しの建物。
入口に厨房を配置し、内部は天井がとてもとても高い箱形空間。
余分な装飾を禁欲的なまでに排除した、現代の礼拝堂のような。
ギャラリーも兼ねていて、現在は「書」によるインスタレーション
八戸香太郎『ヨマナイデクダサイ』を開催中。
(→ ttp://kotarohatch.com/)

これも展示のひとつなのか、床には一面の般若心経が。
(→ http://tori.cc/~mooncat/dn/050308/awomb_1.jpg
M氏は「お経を踏みつけていいのか…」と悩んでらっしゃる。
なーんも考えずにずかずか踏み込んだ私はどうすれば。

二人とも「松花堂お弁当ランチ」(1,680円)を注文。
光の柔らかさと空間の冷たさがせめぎ合う空気感の中で、
場に全くそぐわない怪しげな話をしながら、待つこと20分弱。
(→ http://tori.cc/~mooncat/dn/050308/awomb_2.jpg
お造り湯葉、炊き合わせ、揚げ物、焼き物、五穀入り?ご飯。
他にあんかけ蕎麦、食後にはデザートとドリンク付き。

あまりに現代的に過ぎる店内とは裏腹に、
全体的に薄味で、だしがきいた正統派の「京の懐石料理」でした。
「今、流行りの」という薄っぺらい枕詞に置き換えられない/られたくない、
それ以上に「表現」したいことがあるのだろうと思わされる。

人の感性というのは、どうしようもなく自分勝手であやふやで、
個人的にしか完結し得ない想念なのですが、
私自身は、空間も味も全てひっくるめて好きだと思いました。
今度は予約して、夜の「うーむ懐石」を食べに行きましょう。

=3月8日(火)=
夕暮れ時にぽっかり時間が空いたので、
急ぎ足で、
京都・東本願寺前の「Te Concepcion(テ・コンセプシオン)」へ。
紅茶専門店。私がここに初めて来たのは今年の2月21日のこと。
(→ ttp://www.leafkyoto.net/newopen/0306/shop03.html)

前回と同じ、スコーンとディンブラのセットで900円。
http://tori.cc/~mooncat/dn/050307/TeConcepcion_1.jpg
http://tori.cc/~mooncat/dn/050307/TeConcepcion_2.jpg

絶妙の蒸らし時間で入れられた、やや濃いめの紅茶。
(砂時計と一緒に運んでくるなんて無粋かつ無責任な真似はしない)
ちゃんと茶漉しを通した上でのポットサービス。
(渋くなり過ぎず、最後まで味が変わらずゆっくり飲める)
風味が損なわれない程度に、軽く温められたミルク。
そっとテーブルに置かれるティーコジ。
(どちらも紅茶を冷まさないための気配り)
小振りのさくさくスコーンに口溶けの良いクロテッドクリーム、
食べきれないほど添えられたブルーベリージャム。

そして、何よりも大切なのは「紅茶がおいしい」ということ。
何も考えず、淹れ手のセンスに安心して身を任せられる、そんな味。

広々と開放的で、スタイリッシュな店内の雰囲気も含めて、
現段階で私の理想に一番近い「紅茶の“時間”を楽しむための店」です。

=3月7日(月)=
ちょっと元気がなくなった時、そしてお肌の調子が悪い時は
大阪駅前第2ビルB1にある「喫茶ミクロ」のカレーを食べに行きます。
(→ ttp://gourmet.kansai.com/G0000128)

店主ご夫婦とその娘さん?が切り盛りしている喫茶店。
年季の入った店内の奥には、昭和レトロ感あふれる摩天楼の夕景写真。
日曜日や学休期にはお子様が走り回っていたりします。

そこで出されるカレーは素晴らしく私好みの味。
最初は果物の甘味が広がり、やがてだんだんと辛さが効いてくる。
雑誌の情報によると「生のマンゴーやパパイヤ、玉ネギがふんだんに」
煮込まれているそうですが、そこに程良く熟した生パパイヤが
ごろごろんと添えられた「パパイヤカレー」が現在のマイブームです。
http://tori.cc/~mooncat/dn/050306/micro_curry.jpg

そして、食後には生ミックスジュースを。
(単品400円、カレーとセットで800円)
ミックスといっても、実際はマンゴージュースに限りなく近い濃厚な味。
たまに通常500円のメロンジュースが400円に値下げされている時は、
店主にお願いするとそちらと替えてくれたりもしました。
融通も気前の良さも、都会の雑踏から姿を消した「昔ながらの大阪」。

どこの店も人であふれて、途方に暮れそうになる梅田で、
他人に気兼ねすることなく、静かに日曜午後の時間を過ごせる。
そんな贅沢な空間がレトロな喫茶店の形で存在しているのです。

=3月6日(日)=

梅花の幻影。

2005年3月6日
梅見に行きたくてたまらないのに、なかなか時間がとれないので、
せめて姿のない幻だけでもと思い、
武蔵野ワークス「Floral 4 Seasons」(→ ttp://www.azaban.com/)の
『春告げ草(梅)』の香りを選んでみました。
(→ ttp://www.azaban.com/asagi/f4/a113.html)

最初はやや果物っぽい香りがしますが(香料を見るとピーチらしい)、
肌になじむと、まるで白梅の枝を折って袂に入れたような、
穏やかな梅の香りが漂ってきます。
そして、時間の経過と共にくすんでいく色合いは梅花香に近いかも。

ずっと変わらず咲き続けるのが、人が追い求める理想の花なら、
いつか枯れて土に戻るのが自然の花。
梅の花の香りそのものを再現しているだけではなく、
その「イメージ」までをも取り込んだ調香であるように感じられます。

ここのフレグランスは、国内メーカーが創っているだけあって
日本の気候にとてもよく合う香り立ちです。
夏の高温多湿、冬の乾燥、どちらにも耐える和の花は優しくはかない。
ひさご寿司について調べていて気付いたのですが、
一乗寺の「a womb」(→ttp://www.awomb.com/)は
ひさご寿司当主のご子息(弟?)が独立して構えた創作和食店のようで。

伝統がどのように「自分らしい」感性に昇華されているのか、
一度食べに行ってみたいものです。

京の寿司屋。

2005年3月4日
今日(3日)は仕事はおやすみ。
夜勤明けから11時まで自堕落を楽しみ、17時半まで惰眠を愛し、
夜は親と京都・四条河原町の「ひさご寿司」に行ってきました。

今日は私のおごりだ!
…最近、仕事が忙しすぎた父親の慰労にと約束していたからね。

ところで、関東と関西(というか京都)のお寿司はかなり別物です。
江戸前は「にぎり」、関西は「押し寿司」とはよく言われますが、
もっと大きく違う点は、京都のお寿司はとにかく“甘い”。

昆布の旨味や砂糖の甘味をきかせた酢飯に、あくまでも控えめな山葵、
一手間かけられた寿司種がしっとりと一体化する様子は、
やや乱暴に表現すると、和菓子に近いものがあるように思います。
その傾向が特に顕著なのがちらし寿司や蒸し寿司。
酢飯も混ぜ込まれた具も、錦糸卵もそぼろも、添えられた生姜さえも
全てが口当たり良くふわふわと甘い。その幸せさといったら、もう。

もっとも今日は、私は月代わりの「弥生の鮨」を選択、
12種類くらいのにぎりをひたすら堪能し(昆布巻きが絶品だった)、
親は二人で品書きを見ながら、「まぐろ」「穴子」「うに」「いくら」と、
お気に入り(高いのばっかやん)を一カンずつ注文。

江戸前寿司の粋とも、回転寿司の活気ともちょっと異なる、
スロウトーンが我が家の「お寿司」というご馳走なのです。
よく考えてみると、高3の時点でミュシャが好きだったということは、
それまでにミュシャ作品の実物を見たことがあるはず。
(“つた”や“月桂樹”、“四季”が展示されているのを見て、
その存在感に圧倒された「感情」だけは思い出すことができるから)

ということは、1989-92年頃に開催されたらしい
「没後50周年記念アルフォンス・ミュシャ展 アール・ヌーヴォーの華」
にも行っていたのかもしれません。年齢的にも符合するし。

高校生には高価すぎて、図書館に行く度に眺めていた展覧会図録を、
機会があれば手に入れてみたい。
あの頃の、憧れにも似た「直観」を、今の私はどう意味づけるだろう。

装飾の女性。

2005年3月2日
東京都美術館で開催中の「ミュシャ展」。
(→ ttp://www.ntv.co.jp/mucha/)
行きたいなー行きたいなーでも無理かな、と諦めていたのですが、
巡回先情報を見ると、名古屋にも大阪にも来るようなので一安心。

10年ほど前にアルフォンス・ミュシャ「生涯と芸術」展を見て以来、
ミュシャはカンディンスキーと並ぶ最愛の作家の一人になりました。
この二人は画風はまったく違うけれど、
奔放であるように見えて、実は厳密に計算され尽くした、
音楽的とも形容される彼らの「曲線」に心惹かれている気がします。

自由でありたくても、個性的になりたくても、
全体の調和を乱すことはどうしても出来ない。
それは、ひどく現代的に美しい。

高校時代の体育祭で、応援用看板にミュシャの絵を描いたのも
いい思い出です(今思うと周囲の雰囲気から浮きまくっていたけど)。
あの時に描いたのは「月桂樹」でした。

猫の隠れ家。

2005年3月1日
「neko」のHNは大阪・梅田のカフェから取りました。
(→ ttp://www.creative-hankyu.co.jp/food/neko/index.html)

阪急梅田駅1F、ビッグマン隣、紀伊國屋書店前という
位置だけ聞くと非常に分かりやすい場所にあるけれど、
初めて訪れた人は、おそらく辿り着くことはできない店。
中央階段下「裏」に存在する、文字通りの隠れ家。
(まぁそれでも大体いつも混んでますが)

雑踏の下で身を潜める、そんな時があってもいいかな、と思う。

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