審理の行方。
2005年3月23日(3/23)ニッポン放送の新株予約権差し止めを支持・東京高裁
ニッポン放送のフジテレビジョンに対する新株予約権発行を巡り、東京高裁(鬼頭季郎裁判長)は23日、ライブドアの申請を受けて発行を差し止めた東京地裁の仮処分命令を支持、同放送の保全抗告を棄却する決定をした。[日経新聞]
やっと最終判断。ということで、まずは今回の決定の原文。
→ ttp://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/
c1eea0afce437e4949256b510052d736/
65ea450fa1e373c249256fcd002988c5?OpenDocument
個人的には、文句の付けようがないほど完璧な決定だと思います。
極めて論理的だし、素人にも分かりやすく説得力がある。
日本は資本主義社会であり、何よりも法治国家である以上、
「合法だけど、倫理的に適切ではない」行為と
「気持ちは分からなくもないけど、でも違法」な行為は
全く性質の異なる問題で、同列に論じられるべきではないし、
どちらに理があるかは前提条件からして言うまでもないことです。
ニッポン放送側の「(ライブドアのやり方は)法律すれすれ」
「ずるい」という言葉は、実際に違法ではない以上、
何の批判にもならないということ。
文句があるなら、現状に照らし合わせ、法律そのものの問題点を
指摘した上で、論理的に見直しや改正を求めるべきなのです。
そのための『報道・論評の自由を有』するマスメディアでしょ?
(『』内は2月18日付産経新聞「主張」より引用)
それでも、ニッポン放送やフジテレビその他のメディアは
「放送・報道の公共性」を盾に、異を唱えるかもしれませんが。
そこまで市場(=株主)に左右されない「公共性」とやらを
維持したいのであれば、原文にもある通り、
そもそも株を非公開にしておけば良かっただけであって、
(公開するにしても防衛策を講じておくべきだった)
「公共性」なんて市場では言い訳にもなりません。
立場に甘え既得権にあぐらをかき、当然の企業努力もせずに
理想論だけを声高に叫ぶのは馬鹿げてる。
* * *
もし万が一、高裁がこれまでの地裁決定を覆すようなことがあれば、
「高裁は心情的な理由だけで違法を合法とするのか。
法律とはそんなにあやふやなものなのか。
裁判の際の絶対的判断基準がそんないい加減なものなら、
裁判所は自らの存在意義を否定していることにならないのか」
などと、日本の裁判所批判を繰り広げようと思っていたのですが(笑)
そんなことにはならなくて良かったです。
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